考え、触れる事の重要性

311以前は経済や財政、政治、原発、発電、産業、医療、社会制度、どの話にしても能動的な興味を持っている人は少なかった。

そんな彼らは311以後、必死に情報を"集め"、同意や正義、真実の札を付けて再発信するようになった。
でもそのほとんどが又聞きで、それもその人が欲し、信じたいと思っている情報ばかりだ。
その情報について真偽を確かめるなり変な汗をかくくらい頭を使って考えるなりしたのか?自分の信じたい、欲しい情報が目の前に現れてドーパミンと言う名の麻薬に飛びついただけではないか?琵琶湖でブラックバスが繁殖しているように、一度放流した情報を駆除するのはとても難しいということを忘れていないか?

幼い頃に初めてパソコン通信に触れたとき、将来は皆賢い人ばかりになるのだろうと思っていた。
でも実際には大して変わっていない。いやむしろ悪化しているかもしれない。
その話はただヤフーのトップに載っていたニュースをそのまま読み上げただけじゃないか。自他の見識や知識との関連付けは無いのか。

多くの日本人はこれだけの膨大な情報に晒される準備がまだ出来ていなかったのかもしれない。

ネットで情報を得ることは便利で社会を生きていく上で重要なことだけど、現実の空気や人肌を感じ、時間を共有してみることもまた然りだ。
というわけでこのブログを読むような奇特な若者には、今一度「具合が悪くなるくらい自分の頭で考え、痛みを感じ傷跡が残るくらい自分の手で触れること」の重要性を知り、時に思い出して貰いたい。

まぁ物心つく前からパソコンと仲良くしてきた俺が言うのも説得力無いか(笑
でもやたらめったら旅したり引っ越したり、社会や産業、進化、遺伝子、感染症等の本を読み漁ったり、多方面の人と議論したり、311直後に海岸沿いを横断したり、そこで際どいボランティアをしたり、皆良い経験になったよ。


ヒトは今、進化を迫られている状況

元々自然界はある程度のバランスが保たれるように出来ている。

例えば311震災に豪雨、原発や政治、経済、少子高齢化の問題。

結局は自然界の中で起こっている事象で、言うなれば人間、特に日本人に対して個体数減少を誘発するような負荷が掛かっている状況だ。
一つ一つの問題に理由を付けることは容易に出来るけど、これは日本に人が住みすぎている、かつ豊かな生活をしすぎているのが根本的な原因ではないのだろうか。

日本の国土及び社会制度、それを設計運用する日本民族の受容力の限界に達したように感じる。
(例えば日本の人口が1/100だったら、原子力発電所を作る必要は無かっただろう。でも現実に戦後の日本には数千万~1億超の人間が常に生活していた。原発を日本に作ったのは紛れもなく日本人で、善政や仁政、悪政を行ってきたのもまた同じ日本人だ。)

地球上の生物は様々な淘汰を経て進化し栄え滅んできたけど、ヒトは世代を跨がずに飛躍的な適応と進化(技術開発や制度の変更、精神面の発達、新しい文化の創造、そしてそれらの次世代への継承)を遂げられる動物。良い問題解決法を見つけ受容力を大きくしたり、効率化を行うことによってさらに個体数を増やしたり豊かになることは可能だと思う。

そして志を持ち、己が信じる正しいことに向かって進もう、導こうと尽力する人達が現実にいる。素晴らしいことだ。

でも皆が皆、一斉にその"正しい方向"を向いて"正しいこと"に向かって進むことが出来るわけではない。
頭で分かってはいても出来ない人達だっている、そもそも物事の捉え方や考え方が全く異なる人達もいる、それは分かってあげて欲しい。
進化するとき全員が同じ方向を向かないのはごく自然なことなんだ。適応放散だって起こり得る。

というわけで神っつぁん、災厄災害は来世紀までお預けな。落ち着いて、しばし待たれよ。あと貧乏揺すりも余震が起きるので禁止。

みたいなことを一緒に飲んでいたフランス人に言ったら、日本語で「シラナイ」と言われた。ゴメンヨ。I am a pen.